正味二日間は短い旅でした。4年ぶりの旧友、クラスメイト、みんな元気な姿でお会い出来て次回の再会も約束しました。私は韓国語が話せないけれど、日本語が達者な韓国人が不思議と集まってきます。大きな成果は、韓国は数年前に携帯電話番号が大幅に変わり連絡の取れない友人が多くいましたがそういう友達の連絡先も知ることができてお互いに元気で暮らしていることも確認出来ました。

ホテルをチェックアウトして空港へ。帰りは空港行きのリムジンバスを利用しました。
ソウル発④
※3泊4日お世話になったホテルです。
ソウル発②
※仁川空港行きのリムジンバス車内。3列シートでゆったりできます。ところが市内中心部にもかかわらずすぐに満席になり数か所のバス停でスーツケースを持った多くの乗客が乗れませんでした。15分間隔で便がありますがちょっとかわいそうです。高速バスであっても市内の渋滞はすごくて私も飛行機の出発時間ギリギリに着きました。見送りに同行してくれた友人と別れを惜しむ間もなく飛び乗りました。

ソウル発①
※韓国の空港にふさわしく水色のKAL(コリアン航空)の飛行機が目立ちます。

ソウル発③
※間もなく中部国際空港に着陸です。さて、頭の中を日本に切り替えて明日からの5月を迎えなくては・・。

 思い出は、韓半島の最南端、木浦市の近代の日本と韓国の歴史の跡を学ぶ事が出来たことです。2003年当時、李洛淵知事は国会議員としてノムヒョン大統領の来日の折、大統領の国会演説を起草した人です。私は日本の議員として当時その演説を議場で聴きました。「韓日には過去の一時期不幸な歴史があります・・・それを乗り越えて未来志向で・・・」というくだりは13年後の今日でも脳裏に焼き付いています。
 共生園という孤児院をつくった田内千鶴子さんは、この不幸な歴史の真っ只中においても韓国人の孤児を育て現在も尚、お孫さんたちが意思を継いで頑張っている。国政レベルでは慰安婦問題、領土問題などでお互いが主張を語り決着がついていませんが、民間レベルでは両国民が経済、学問、文化面で交流しあって仲良くしている・・こういう現実を草野の根からこれからも続けていきたいな、と改めて思いました。そういえば私もズボンにセーターという普段着でした。