4月27日は一日中落ち着かなかった。韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、南北軍事境界線のある板門店の韓国側施設で会談し「完全な非核化」などが書かれた「板門店宣言」に署名しニュースは一瞬にして全世界に流れました。
 30年4月28日①
 文在寅大統領 :「私はいつ(境界線)を越えられるだろうか」 金正恩委員長 :「じゃあ、今行きましょう」
 
【訪朝から19年後の4月27日】
 1999年秋と,翌2000年秋国交のない北朝鮮を訪問した私は、この南北首脳会談のニュースをくぎ付けになって見ました。感慨深く、こみ上げる思いが溢れ出てきました。
 1999年は参議院議員故清水澄子さんが団長、2000年は衆院議員として私が団長でした。朝鮮の対日文化連絡協議会からの招請を受けて、当時水害で食糧不足の朝鮮の子どもたちにミルクや食料品を大量に持参することが訪朝の目的でした。

 国交のない国への訪問には、大きな決断が必要でした。国の在り方も違い言葉もわからない。団長として無事に帰国できるだろうかという不安もありました。板門店を訪れた時、軍隊のない日本人の私には大きな衝撃が現実のものとして走りました。
 北朝鮮側から韓国側を見ました。そして軍事境界線に立ちました(1999年9月)
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・朝鮮側から見た板門店。向こう側に韓国の「自由の家」が見えます。手前は北朝鮮軍が、向こう側には国連軍がいます。終戦ではなく休戦状態なので、軍人と目を合わせてはいけない等の細かな注意事項の説明を受けて建物の中にも入りました。↓
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・あれから19年後、この場所で南北の首脳が行き来をし、会談をして合意文書に署名した!韓国には留学生活でお世話になった友達が大勢います。一時は戦争が起きるのか心配もされていたことを考えると胸から大きな喜びが沸き上がってきました。

1999年9月、訪朝団=女性のピースラインは平壌や近郊など訪問して子どもたちとも触れ合いました。
【平壌国際空港】
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・滑走路はなめらかではなく、発展途上の国という第一印象でした。
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【金日成広場ほか】
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【宿泊先の高麗ホテル前で仲間と】
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【平壌市内=19年前】
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・市内を流れる大河=大同江(テドンガン)↓
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【子どもたちの文化宮殿など】
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・電力事情が悪く、薄明りの中で刺繍を刺していました。
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【最高人民会議場=国会】
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【白頭山頂(ペクトサン)にある天池=カルデラ湖】
・中国の国境近くにある白頭山は2700mほどあり小型バスで近くまで行き、その後徒歩。山の向こうは隣国という説明は、国境がない日本人の私には不思議な感覚でした。
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【平壌市内の地下鉄】
・訪朝の1月前にモスクワで乗った地下鉄と全く同じ造りで、地下深く、宮殿のような駅のホームに「社会主義国」、核戦争に備えて?と驚愕しました。
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【訪朝の招待状を出してくれた。対日文化連絡協議会の部長さんと】
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 2018年4月27日を境に朝鮮半島から「核」はなくなるのか。民族の「統一」はどのような道筋をたどってできるのか。日本の「拉致問題」「国交正常化」はどうなるのか。19年前の訪朝の写真を見ながら対話による「世界平和」とは何と長い時間がかかるのだろうかと、深く考えさせられました。

 近くて遠い国の意味を改めて思い、外交には野党も与党もない、時の政府に純粋に取り組んで頂きたいと感じました。
※北朝鮮は、撮影できる場所が限られていました。平壌市外は撮影を禁じられ制約も多々ありましたがこの経験は私の人生にとって「恒久平和」を再認識させてくれた貴重なものとして残っています。.。o○.。o○.。o○.。o○