2017年04月

     23年前、数人で立ち上げた「長久手の福祉を考える会」はこの日の総会で幕を降ろしました。会費は年間1,500円。代表、会計、監査、運営委員を置き年間通して福祉に関する活動を続けてきました。長久手の・・とあるように長久手の福祉について福祉施設のボランティアや勉強会、研修会、新年交流会など年間の計画をたて、5月には総会を行ってきました。23年間で、会員は見事に高齢者になりました。しかしこの会への参加により、ほとんどの会員が元気です。
    福祉を考える会③
     議員を代表にしないという事が長く続いた要因でもあると思います。この会のいいところです。ところが、たまたまこの会から、衆院議員や、町会議員、長久手市長が誕生しました。市の福祉を良くしよう・・として出発した会なので振り返ると選挙には皆さん関心を持ってきたと思います。
     何よりも濱田代表の庶民性と那須野さんの論理的で公平な考え方で長く続けてこれたと思います。
    濱田代表にお礼と感謝の花束が・・。(濱田代表と那須野さん)
    福祉を考える会⑦
    例会や行事でいつも受付をしてくれたお二人です。
    福祉を考える会④
    市主催の福祉祭りでは毎年呈茶サービスで参加・・お茶の先生の伊東さん(右から4人目)
    福祉を考える会⑤
    平成27年には県知事から「ボランティア活動功労者表彰」をいただきました。
      大村知事の右隣(濱田代表)
    福祉を考える会②
     23年前、那須野さん、濱田さん、水戸さん、吉田一平さん(現市長)、私の5人で集まりこれからは高齢化社会に確実に向かっていくから福祉について考えていこうと出発しました。

    吉田市長も会員なので、お昼ご飯を一緒に食べながら「まちづくりのこれからのこと」について施策を話してくれました。
    福祉を考える会①
     オレンジベストを着用しないで市長が「こんにちは」というと挨拶してくれない中学生。オレンジベストを着ると挨拶してくれた中学生の話。ベスト着用にちょっと抵抗感のある人がいるらしいということで今年度から「オレンジストラップ」を作成したそうです。同席した福祉部次長はオレンジストラップを下げていました。
    お昼のお弁当です。皆で語らいながら頂きました。
    福祉を考える会⑥
     会の活動は実費参加のため繰越金が沢山出ました。運営委員会で「絆」をお返ししようと考えて全会員に渡されました「絆」です。
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     1994年にスタートした会は2000年を目前にこれまでの「措置制度」から「介護保険制度」になるというこで、一生懸命勉強しました。研修や勉強会、行政へ福祉施策の提言、介護施設へのボランティア・・数えきれないほどの活動をしてきました。
     すべてが平穏なことばかりではありませんでした。たいようの杜の調理場を借りて、昼食の宅配を始めたところ、翌年この事業を実績として行政がハートフルハウスに委託してしまったことも。この給食ボランティアをまとめてくれた会員はとても悩んだというエピソードも忌憚なく話されました。

     会員は歳をとり、N-バス、自転車で集まってきます。これからは市の介護保険事業で地域にサロンができるので、解散しても地域で活動を続けていこうね・・と濱田代表から締めくくりの挨拶がありました。
     皆さん口を揃えて「若い人が入れる会に出来なかったね」と。同世代で固まってしまったので少し敷居が違ったのかな~と。それでも一番のヤングは私なんです。

     この会では、多くの会員と様々な出会いがありました。特に障害児をもつ親の会の皆さんの意見は切実でした。高齢者福祉とは、障害者福祉とは・・実に多くのことを学びました。ここで体験したことを議会で発言し多くのことが改善されました。代表的なものがエレベーターのない本庁舎に1台エレベーターが設置されたことです。先日、吉田市長から「大島さんがこのエレベーターのこと頑張ったんだね」と言われ、ビックリです。町議会で2回質問したことを思い出しました。
     皆さんに教えられた23年間、ありがとうございました。これからは地域で会いましょうね。
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     2015年、2016年、2017年・・と、市議会の有志で市民が力を合わせて政治をかえるために活動を始めました。
    (2016年夏の参議院選挙前の市内街頭活動には日進市の山田市議も応援に参加)
    安保街頭宣伝④JPG

    安保街頭宣伝⑤JPG

    安保街頭宣伝①
    (長久手では党派を超えて、初めて幟旗を作成・・仲間が出来るっていいね!)
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    (2016年11月、次期衆院選では愛知7区で野党統一候補の実現を目指そうと@7区の設立総会を開催しました)
    市民と野党をつなぐ会7区⑦

    2017年1月 @長久手を立ち上げ、「座間宮ガレイ氏選挙勉強会」を開催しました。
    長久手ガレイちらしカラー
    (講師の座間宮ガレイさんを囲んで・・)
    ガレイさん②

    (@7区の共通政策です)
    飛行機雲②
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     さて、「@長久手」の独自活動第2弾はニュースの配布です。仲間も増えて今日は1万枚印刷したチラシ「お届けタイ」の統一行動日です。私は、都合により急遽参加できませんでしたが皆さんが声をかけあい、仲間を誘い「お届けタイ」の行動が無事に終わったと聞きました。参加できず、ごめんなさい。

    @長久手のチラシです。
    @長久手フライヤー2
    @長久手フライヤー
     「暮らしは政治・おはなし会」を開催します。
     朝、起きて顔を洗う水道水が安全であること、子どもを産んでも働き続けられること、病気になったら治療を受けられること・・人として尊重され、他人によって自分の権利が奪われないこと、良い自然環境の中で暮らせること・・生きていくうえで当たり前のことが、実は全て政治と関わっている・・このようなことを地球規模で考え、地域で実践していく・・。楽しい会を参加者の皆さんと持ちたいと思っています。

     日頃、政治って難しいって思っているおっかなびっくりの方、是非足を運んでください。
     暮らしは政治
     あなたの声が政治を変える
     長久手から大きな流れを一緒につくりましょうね。

     ☆長久手市議会より さとうゆみ議員 林みすず議員 私、大島令子とお話しましょう~。
     ☆と  き : 5月13日(土) 13時30分~  
     ☆ところ : 長久手交流プラザ

      ☆★☆★☆★☆★ お待ちしていま~す ☆★☆★☆★☆★

     帰省のたびに必ず出かける場所・・そこからの富士山はたまらなく美しい。
    29年4月18日富士山⑤
    田に水がはられ、逆さ富士です!
    29年4月18日富士山②
    菜の花も咲いていました。
    29年4月18日富士山⑥

    29年4月18日富士山③
    お寺からの帰り道で。
    29年4月18日富士山①

    近くには歴史的な名所「駒止めの桜」があります。通称「狩宿の下馬桜」
    29年4月18日富士山④
     昨年は4月12日に訪れました。今年は一週間遅いためか少し花びらが落ちていました。この桜の木は、源頼朝が狩りの時に桜の枝に馬をつないだと伝えられ、現在は国指定の天然記念物に指定されています。母からは幼い時からその名前の由来を聞かされてきました。現在は近くに駐車場も整備されて観光地化されています。
     日中はテントが張られ、屋台のお店でジュースやお饅頭、たこ焼きなどが販売されています。
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     今日は母の葬儀。昨夜は兄弟姉妹が初めて一つの部屋に泊まりました。朝いちばんにすることは富士山が顔を出しているか見ることです。良かった!うっすらと見えました。
    母の晩年②
     毎日その姿を変える富士山は私にとっても母にとっても生き物です。今にも雲に隠れてしまいそうでしたがうっすらと姿を現し、母を静かに抱いて遠い天に連れて行ってくれるような気がしました。お母さん良かったね!

     母は人生の幕を下ろしましたが一冊の「俳句集=山桜」を残してくれました。
    母の晩年①

     昭和52年から富士宮市の成人学級俳句科で学び、卒業後は「佐野鬼人先生」から指導を受けて勉強を続けてきました。昭和61年に父が他界してからは俳句のお蔭で人生を楽しみ生きる証となったようです。
     81歳で句集を発刊するまで五百以上の句を作りました。帰省すると必ず「この俳句はどう~」と言って何首も読んで聞かせてくれました。私は関心がなかったのでいい加減に聞いていましたが晩年にこの句集を出してからは時々開いて読むことも多くなりました。5 7 5 という短い詩ですがその時々の母の気持ちが伝わってきます。

     80歳になった時「体調が優れず、先が見えてきたような気がするので、これまで生きてきた証を残しておきたい」と言って鬼人先生をたずねたそうです。

    大好きな句です。
     「無欲とは 気高きものよ 雪の富士」
    「無欲」ということは、「自己を忘れる」こと。自己の生き甲斐を求めるあまり、我に固執してはいけない。それがかえって自己の生き甲斐を失わせる結果になるから・・。この句の良い所は、自らをなげくのではなく、醜いところも白衣で覆い尽くした明るい「雪の富士」がみえるところ・・と鬼人先生は評してくれました。

     大正半ばに生まれ、戦前、戦中、戦後の混乱の中で精魂を尽くして子ども6人を育ててくれた母。俳句に出会い生きた証を残してくれてありがとう。俳句を読むと、お母さんの人生が刻が充実して流れたようで嬉しいよ。
     ありがとう。
    29年4月14日上井出①

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     正午から中学校の同窓会。母の湯灌・納棺時間前なので喪主である姉の「50年ぶり?いってらっしゃい、送るよ」という言葉に甘えました。50年の歳月・・同窓生の姿は脳裏では中学生のままです。会うのが恐ろしいような気持ちで会場につきました。晴天の中、駐車場の入り口に受付がありましたが遠くから見える同窓生の姿は誰が誰なのかわかりません。しかし、近くにいくと昔の面影が残っていて「あ!・・ちゃんだよねー」とすぐにわかり打ち解けることができました。地元に残っている同窓生はお互いに仲が良さそうに会話をしています。
     (お店に入る前に記念写真・・4クラス145名の内、30人が参加です)
    西富士2期会同窓会⑥
     黄色の大きな名札を胸につけてお互いの存在を確かめ合いました。
    1枚の紙に目をやると物故者の名簿でした。14名が他界しておりほとんどの人が50代という若さで胸が痛み学生服姿の顔が思い浮かんできました。私は、今日参加できて良かった!と心の中で思いました。
    西富士2期会同窓会⑤
    (名簿を見ながら全員に挨拶してまわりました)
    西富士2期会同窓会①
     還暦を過ぎた同窓生ですが、未だ現役で仕事をしている人も多く、様々です。人生も様々。
    みんなの顔にそれぞれの人生が刻まれていました。自分の顔も気になります。
    西富士2期会同窓会④
     前列左の椅子に座っているクラスメイトの太田信隆君は、2000年に天皇陛下の前立腺摘出手術をした東大チームの一人として、故郷では「天皇の主治医」として一躍有名になりました。太田君とは高校へ通うバスで時々一緒になったことを覚えています。現在は焼津市立総合病院の院長として地域医療に専念をし後輩の指導にも力を注いでいると話してくれました。病院は黒字だよ、という言葉に「どうして?」と私。採算の合わない診療科は廃止せざるを得ないから・・。どうやら総合病院といえどもこのような決断をし、しかし隣接市の病院との連携を図り廃止した診療科のカバーしていることが要因ということでした。
     50年記念誌に太田君の講演録がありましたが、本当に田舎者の私たちだな・・嬉しいな~と、あっという間に時間が過ぎました。
    西富士2期会同窓会②
     最後は、これもまたクラスメイトの小岱久美子ちゃんが作詞した「校歌」を皆で合唱して終わりました。指揮は「カマキリ」とあだ名がつけられていた島崎君・・解散の頃になってやっと昔の記憶が戻ってきました。

    西富士2期会同窓会③
     夕方、母は棺に納められました。今日も富士山を仰ぎながら家の周りを歩きました。

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