23年前、数人で立ち上げた「長久手の福祉を考える会」はこの日の総会で幕を降ろしました。会費は年間1,500円。代表、会計、監査、運営委員を置き年間通して福祉に関する活動を続けてきました。長久手の・・とあるように長久手の福祉について福祉施設のボランティアや勉強会、研修会、新年交流会など年間の計画をたて、5月には総会を行ってきました。23年間で、会員は見事に高齢者になりました。しかしこの会への参加により、ほとんどの会員が元気です。
議員を代表にしないという事が長く続いた要因でもあると思います。この会のいいところです。ところが、たまたまこの会から、衆院議員や、町会議員、長久手市長が誕生しました。市の福祉を良くしよう・・として出発した会なので振り返ると選挙には皆さん関心を持ってきたと思います。
何よりも濱田代表の庶民性と那須野さんの論理的で公平な考え方で長く続けてこれたと思います。
濱田代表にお礼と感謝の花束が・・。(濱田代表と那須野さん)
例会や行事でいつも受付をしてくれたお二人です。
市主催の福祉祭りでは毎年呈茶サービスで参加・・お茶の先生の伊東さん(右から4人目)
平成27年には県知事から「ボランティア活動功労者表彰」をいただきました。
大村知事の右隣(濱田代表)
23年前、那須野さん、濱田さん、水戸さん、吉田一平さん(現市長)、私の5人で集まりこれからは高齢化社会に確実に向かっていくから福祉について考えていこうと出発しました。
吉田市長も会員なので、お昼ご飯を一緒に食べながら「まちづくりのこれからのこと」について施策を話してくれました。
オレンジベストを着用しないで市長が「こんにちは」というと挨拶してくれない中学生。オレンジベストを着ると挨拶してくれた中学生の話。ベスト着用にちょっと抵抗感のある人がいるらしいということで今年度から「オレンジストラップ」を作成したそうです。同席した福祉部次長はオレンジストラップを下げていました。
お昼のお弁当です。皆で語らいながら頂きました。
会の活動は実費参加のため繰越金が沢山出ました。運営委員会で「絆」をお返ししようと考えて全会員に渡されました「絆」です。
1994年にスタートした会は2000年を目前にこれまでの「措置制度」から「介護保険制度」になるというこで、一生懸命勉強しました。研修や勉強会、行政へ福祉施策の提言、介護施設へのボランティア・・数えきれないほどの活動をしてきました。
すべてが平穏なことばかりではありませんでした。たいようの杜の調理場を借りて、昼食の宅配を始めたところ、翌年この事業を実績として行政がハートフルハウスに委託してしまったことも。この給食ボランティアをまとめてくれた会員はとても悩んだというエピソードも忌憚なく話されました。
会員は歳をとり、N-バス、自転車で集まってきます。これからは市の介護保険事業で地域にサロンができるので、解散しても地域で活動を続けていこうね・・と濱田代表から締めくくりの挨拶がありました。
皆さん口を揃えて「若い人が入れる会に出来なかったね」と。同世代で固まってしまったので少し敷居が違ったのかな~と。それでも一番のヤングは私なんです。
この会では、多くの会員と様々な出会いがありました。特に障害児をもつ親の会の皆さんの意見は切実でした。高齢者福祉とは、障害者福祉とは・・実に多くのことを学びました。ここで体験したことを議会で発言し多くのことが改善されました。代表的なものがエレベーターのない本庁舎に1台エレベーターが設置されたことです。先日、吉田市長から「大島さんがこのエレベーターのこと頑張ったんだね」と言われ、ビックリです。町議会で2回質問したことを思い出しました。
皆さんに教えられた23年間、ありがとうございました。これからは地域で会いましょうね。
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議員を代表にしないという事が長く続いた要因でもあると思います。この会のいいところです。ところが、たまたまこの会から、衆院議員や、町会議員、長久手市長が誕生しました。市の福祉を良くしよう・・として出発した会なので振り返ると選挙には皆さん関心を持ってきたと思います。
何よりも濱田代表の庶民性と那須野さんの論理的で公平な考え方で長く続けてこれたと思います。
濱田代表にお礼と感謝の花束が・・。(濱田代表と那須野さん)
例会や行事でいつも受付をしてくれたお二人です。
市主催の福祉祭りでは毎年呈茶サービスで参加・・お茶の先生の伊東さん(右から4人目)
平成27年には県知事から「ボランティア活動功労者表彰」をいただきました。
大村知事の右隣(濱田代表)
23年前、那須野さん、濱田さん、水戸さん、吉田一平さん(現市長)、私の5人で集まりこれからは高齢化社会に確実に向かっていくから福祉について考えていこうと出発しました。
吉田市長も会員なので、お昼ご飯を一緒に食べながら「まちづくりのこれからのこと」について施策を話してくれました。
オレンジベストを着用しないで市長が「こんにちは」というと挨拶してくれない中学生。オレンジベストを着ると挨拶してくれた中学生の話。ベスト着用にちょっと抵抗感のある人がいるらしいということで今年度から「オレンジストラップ」を作成したそうです。同席した福祉部次長はオレンジストラップを下げていました。
お昼のお弁当です。皆で語らいながら頂きました。
会の活動は実費参加のため繰越金が沢山出ました。運営委員会で「絆」をお返ししようと考えて全会員に渡されました「絆」です。
1994年にスタートした会は2000年を目前にこれまでの「措置制度」から「介護保険制度」になるというこで、一生懸命勉強しました。研修や勉強会、行政へ福祉施策の提言、介護施設へのボランティア・・数えきれないほどの活動をしてきました。
すべてが平穏なことばかりではありませんでした。たいようの杜の調理場を借りて、昼食の宅配を始めたところ、翌年この事業を実績として行政がハートフルハウスに委託してしまったことも。この給食ボランティアをまとめてくれた会員はとても悩んだというエピソードも忌憚なく話されました。
会員は歳をとり、N-バス、自転車で集まってきます。これからは市の介護保険事業で地域にサロンができるので、解散しても地域で活動を続けていこうね・・と濱田代表から締めくくりの挨拶がありました。
皆さん口を揃えて「若い人が入れる会に出来なかったね」と。同世代で固まってしまったので少し敷居が違ったのかな~と。それでも一番のヤングは私なんです。
この会では、多くの会員と様々な出会いがありました。特に障害児をもつ親の会の皆さんの意見は切実でした。高齢者福祉とは、障害者福祉とは・・実に多くのことを学びました。ここで体験したことを議会で発言し多くのことが改善されました。代表的なものがエレベーターのない本庁舎に1台エレベーターが設置されたことです。先日、吉田市長から「大島さんがこのエレベーターのこと頑張ったんだね」と言われ、ビックリです。町議会で2回質問したことを思い出しました。
皆さんに教えられた23年間、ありがとうございました。これからは地域で会いましょうね。
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