2016年12月

     今年も九州から新米が届きました。生産者の友達は現役を退いて故郷に帰り、両親の代わりにお米を生産するようになって5年目と言ってました。素人の人がお米は作れないと私は思っていたのですが、その友達は1年目に両親のする作業を1~10までパソコンに打ち込んで、来年はこの通りにすればお米を作れるよ~と簡単に言ってました。
     ところが、本当に美味しいお米をここ数年毎年送ってくれます。本当に美味しいです。スーパーには沢山の種類があるので私はどの銘柄が美味しいのかわかりません。最近はネットで北海道のお米を購入しています。ところが友達の作ったお米は味とか粘り、香りもあって美味しいのです。
    農家のお米②

     4月頃に籾を蒔き、苗から育てるそうです。5月末に田植えをして10月初旬に稲刈り。多分その間には水田に水を入れたり、除草したり、田の畔の草刈りなど沢山のことをして、稲刈りの日を迎えるんだろうな~と想像しています。仕事をしながら自宅で食べる分だけを作っていると言ってました。
     だから、私にとっては友達が大切な一家の一年分のお米をおすそ分けしてくれるので、いつも申し訳ないな、と感謝の気持ちでいっぱいになります。
     今年は、12月になって届きました。昨年「どうしてこんなに香りがいいの?」と聞いてみたところ、「もち米を少しブレンドするんだよ」と話してくれました。そうか、だから10月に収穫して12月になってしまうんだな~と。

      生まれてからずっと「消費者」の私には、いとも簡単に「生産者」になれる友達が不思議でなりません。大地に種をまき、お米や野菜を作れる人を尊敬してしまいます。多分、私はこれからもずっと消費者として知らない人たちが生産した食べ物を頂いて生きていくんだろうな。大地の恵みのお蔭で生きている私たち。友達が送ってくれたお米を見ながら、日本の食料自給率のことまで考えてしまいました。

     全国に沢山の友だちや友人がいます。食いしん坊の私はこの友達との縁は大切にしておこう・・と勝手に思っています。
    農家のお米①

     昨日12月6日、そして本日7日、明日8日の3日間、16人の議員が一般質問をおこないます。一般質問は、正に市民の声を代弁する議員にとっての晴れ舞台=真剣勝負の場です。私の番は今日の3番目、午後の2番目です。いつものように傍聴にお出かけくださいと声掛けをさせていただきました。毎回、来て下さる方もいらっしゃれば、質問の内容の当事者や関心のある方などと様々です。平日の午後なので傍聴席は満席にはなりませんが、傍聴席に市民の方々に座っていただき自分自身にノルマをかけるようにしています。
    ☆私の前の議員の質問が終わると15分ほど休憩になります。
     休憩を知らせる白いボードは1階ホールのTVで傍聴する市民の方の為にあります。
     「休憩時間中ですよ~」って。職員が作成してくれました。
    28年12月議会議場②
    ☆今回取り上げた主な質問です。
    ①公共工事における市内建設業者の育成について
     現在、建築工事一式の指名競争入札は2,000万円以下の場合は、原則は市内業者6者で行われることになっていますが、残念ながら市内に本店を置く法人の入札参加は2者と激減してしまいました。6者揃えるために市外の法人が4者参加して実施されています。市内業者が落札できると、法人税となって市の財政に貢献できます。また冬に道路が積雪したときに塩化カルシウムをまくなど雪氷対策をしてくれます。防災面でも、災害が発生した時に応援してくれます。私はこのような視点で取り上げました。

    ②病児・病後児保育について
     現在は名東区のクリニックへ委託していますが、市外のため送迎が不便です。この為市内の小児科医にお願いして市内で実施できるようになれば利用者はとても助かります。隣接する日進市も尾張旭市も市内の病院に委託して実施し、利用者も増えています。長久手市でも、隣接市に遅れての実施ですが3年目を迎えて利用者が急増しています。医師会へいつも発信して、早期に市内での実施と、保育料も隣接し並に低額しすることなど細部にわたって質問しました。料金は隣接しと同一の8時間30分で2倍(4,000円)します。どこの市に(自治体)に住んでも同等の保育サービスが受けれるように、事前調査をしてのぞみました。

    ☆さて、都知事も市長も議場では同じ所に席があります。東京都知事と長久手市長の少し違うところは、「ほとんど部長に答弁を任せていること」です。めったに市長自らの考えを聞くことができません。事前に質問通告をしているので、市長の生の声で考えを聞かせて頂きたいものです。
    (市長席・・)
    28年12月議会議場①
    (質問通告書です)
    28年12月議会通告書①
    28年12月議会通告書②
     12月15日からは市議会ホームページで中継録画見ることができます。
    詳しい答弁は中継録画でご覧いただけます。宜しくお願い致します。

     10日間限定のギャラリー&カフェ虹菜月の作品展が終わりました。今回は最終日に間に合いましたがいつも感じることは「女性たちの手仕事展」って素晴らしいな~!って。よくぞ想像力を巡らしてこのように可愛らしくもあり、美しい作品をその手で制作できる、その根気強さにも驚きます。
    ☆虹菜月は緑の木々が迎えてくれます。
    になづき⑩
    ☆来年の干支が眼に入りました。
    になづき⑨
    ☆今回のメイン、アニマル人形たち。
    になづき⑧
    ☆女性の首や腕を飾るアクセサリー。
    になづき⑥

    になづき⑤

    になづき⑦
    ☆たいていの作品は「眼の保養」でおわり、奥の喫茶室で今回はおぜんざいをいただきました。
    になづき③
    ☆友人が部屋の真ん中に毎回活けるお花はクリスマスが近づいていることを教えてくれます。
    になづき④
    ☆わあ~シクラメンの季節!私の年代は布施明の「シクラメンのかおり」がスッと浮かびます。
    になづき②

     今週は3日間にわたり16人が議会一般質問をしますが、昨日は勉強の合間にちょっと息抜きで足を運びました。美しい物を観て美しい~と感じる心がまだ残っている~。
     良かった!まだ情操豊かな心が残っているかもしれない、私。

    2016年 伊勢赤福・ついたちもち総集編です。年の瀬を一層感じますね。
    赤福餅

    1月1日(元旦) お休み
    2月1日 立春大吉餅
    ついたちもち

    3月1日 写真行方不明(郷里:静岡県富士宮市田貫湖の桜の花)
    田貫湖

    4月1日 さくら餅 百花の女王
    桜餅

    5月1日 柏もち  端午の節句
    5月1日④

    6月1日 麦手もち  田植えの終わった祝もち
    6月ついたちもち

    7月1日 竹流し(筒ようかん)  水に浮かぶ笹舟
    7月赤福①

    8月1日 八朔粟もち
    8月の伊勢赤福餅

    9月1日 おはぎ(萩のもち) 収穫のよろこび
    赤福①

    10月1日 栗もち 重陽(ちょうよう)の節句=菊の節句
    伊勢赤福10月

    11月1日 ゑびすもち 商売繁盛「ゑびす講のある月」
    11月赤福

    12月1日 雪餅 「火の用心」
    BlogPaint

     このようにして、ついたちもちに四季を感じながら2016年を過ごしてきたと思います。四季のある国に住み、四季折々を楽しみ、そこに文化が生まれてきたように思います。日本の歴史文化を「ついたちもち」をとおして未来につなげている伊勢赤福さん!毎月1日、楽しませていただきありがとうございました。
     届けてくださった「サンタさんの友達」にもア・リ・ガ・ト・ウ~

     来週の議会質問を控えて朝から行事が入っていて忙しい。9条の会例会への参加は迷いましたが自然と会場へ足が向いていきました。今日は「香流川9条の会」の赤羽さんが「歴史体験」を話に来てくれるからです。数年前に赤羽さんのご自宅で開催されている「香流川9条の会」に参加していましたが最近はお会いしていないので元気になられたお姿や、戦前戦後の生きた歴史をしっかりとした歴史的背景を元にお話しをしてくださる方なので出かけました。
    会場は後ろまで大勢の人で埋まっていました。ご高齢の赤羽さんのことを考えて、大きなスピーカーとマイクが用意されていました。ところが、大きくて元気な声で、しっかりと内容を聞くことができました。レジュメも準備され、いつもの赤羽さんだ~と懐かしかったです。
    赤羽さん①

    講演 : ー負の歴史とどう向き合ってきたかー「私の敗戦前後」
     赤羽さんは歴史的事実と自分がその時代にどのような青年で、どのように生きてきたのかを織り交ぜて話してくれました。軍国少年であったこと。単身ハルビンへ渡ったこと。ロシア語を学んだがハルビン日本人学校で教師をしたこと。素直にご自分の戦争中のことを聞かせていただきました。昭和28年、興安丸に乗船して、舞鶴港に上陸して赤羽さんの戦争が終わったと。

     最後に力強く「語り手の思い」を話してくれました。
    ⑴一人の人間が戦争に翻弄されて異国で敗戦国民となり、異常な体験をしなければならなかった
     時代があったことを知って欲しい。
    ⑵何故そのような体験をせねばならなかったのか、個々の体験の事実から戦争の本質を考え、歴
     史を学んで欲しい。
    ⑶戦争で死ぬとはどんな風に死ぬのか学んで欲しい。
    ⑷戦争体験を思い出すと言葉では表現できない胸が熱くなる感情で一杯になる、これは伝えられ
     ない、だが戦争体験を教養や知識に留めないで欲しい。
    ⑸かって戦争の奔流に呑み込まれてしまった愚かな人間のいた事を知り、再びその轍を踏むこと
     のないよう知性を磨いて欲しい。
    ⑹私の話が日本の近現代史を学ぶきっかけとなればこの上なく嬉しい。そして朝鮮人の歴史・中
     国人の歴史に眼を配ることを忘れないで欲しい。
    ⑺戦争体験を聞く者も話す者もその体験の「思い出し方」に十分自省して欲しい。

     赤羽さん:「戦後30年~40年たって、70歳をすぎてやっと話せるようになった。戦争体験の思い出し方を変えた時、冷静に話せるようになった」。時間ぎりぎりまで、このように訴えられた言葉の中に、赤羽さんの戦争体験に対する本質と「語り手の思い」を少し理解できたように感じました。
    (自ら一緒に写真に収まってくださった赤羽さん。舞鶴港に上陸した年、私は生まれました)
    赤羽さん②

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