2016年08月

     平成26年第3回長久手市議会で「非核平和都市宣言」が全員一致で議決されました。このことにより行政も平和事業に取り組むようになりました。昨年8月5日・6日には市内在住の中学生15名人が広島を訪問して広島平和記念資料館等を見学し、平和祈念式典に参列しました。
     そして今年は文化の家展示室で「原爆写真パネル展」が、また中央図書館では「語り部による戦争体験を聞く集い」も行われました。私はパネル展に足を運んできました。
    原爆写真パネル展③

    原爆写真パネル展①

    ★婦人画報 昭和19年3月号「貴女の防空服装は安全か?」 当時の雑誌です。
     ー撃ちてし止まむ・陸軍日特報 全女性戦闘配置ー
    原爆写真パネル展⑤

    ★~千人針~
     布に千人の女性が赤糸で一針ずつ縫って、千個の縫玉を作り、出征将兵の武運長久、安泰を祈願して贈ったもの。「虎は千里走って千里を戻る」の伝説から、虎の像が描かれ、寅年生まれの女性には、その歳の数だけ縫ってもらった。(所有:倉知ふみ子さん)
    原爆写真パネル展⑥

    ★広島・長崎へ落とされた原子爆弾によるきのこ雲です。
    原爆写真パネル展②

    ★平和への思いを綴る木・・来場者が一枚一枚思いを書いて木にしていきます。
      (協力:長久手絵手紙を楽しむ会)
    原爆写真パネル展④

    ★市では本年5月に「平和事業推進委員会」を発足し、市民と行政により戦後70年記念誌が作成されました。
     戦争体験談、中学生の広島平和体験学習感想文、コラム等45ページにわたり戦争の悲惨さや平和の尊さが書かれています。寄稿された生きた証言を多く記録し、後世に伝えていくことは、戦争の事実が風化された現代では非常に意義があると、編集後記にも書かれています。
    戦後70年記念誌
     戦後70年記念誌への寄稿文・現在の想いの全てが胸にぐっときました。

    ◎目には目をという争いのエスカレート、一触即発の戦争のリスクと背中合わせでいることを考えなければならないと思う。ある物理学者が無限なるものは宇宙と人間の愚かさだという。核による人類滅亡を意味しているのか?戦争の悲劇は罪のない人々、とくに幼い子供たちにその犠牲を強いる。それが我々年老いた人間には最も許せないのです。特に先のある若い人たちにお願いしたいのです。
     あの戦争はなぜ起きたのか、止められなかったのか、そしてあの悲劇、泥沼から這い上がったあの姿など後世の皆さんにもう一度お伝えするのが、最後の務めだと思っています。
    (鎮魂シベリアに眠る父を思う 77歳の方の現在の想い)

    ◎世の中に正しいことほど強いものはない。ですから、日本は、憲法で他国を威すようなことを一切しないと決めている。例えば、よその国と争いごとが起こったときです。決して戦争によって相手の言い分を通そうとしない。これは誤ったことであり、戦争を仕掛けることは結局、自分の国を亡ぼすことになる。ときには暴力は、戦争までいかずとも国の力で相手を亡ぼすことになる。戦時中の日本は、対外的に一貫して力の政策が追及されました。これを戦争の膨張主義といいます。
     これからは、世界の国々と仲良くして世界の国々が友達になってくれるようにすれば、日本は栄えていくでしょう。あの恐ろしい悲惨な戦争を二度と起こさないようにしましょう。
     (東京大空襲を体験した女性の想い)

    ★戦後69年、長久手市は「非核平和都市宣言」をした。この宣言をもとにこれからも平和行政を市民とともに実施していくことを願っています。
    非核平和都市宣言

     人間の死=death、友人の死をどうのように受け止め受容していけばよいのだろうか。昨日、大切な知人でもあり、またある分野において問題意識を共有していた(私が一方的に思っていたかもしれない)人の「死」を知った。
     夕方、通夜式に出向いた。棺に納められた知人と対面して一気に涙があふれてきた。昨日この知人の訃報を聞いたが棺の中の知人と対面するまでは「死」を実感できずにいた。そう、もう話も出来ないし、一緒に活動も出来ない。出来ないんだ!ということで知人の「死」を理解しようと思った。しかし、まだ、携帯に電話をすれば元気な声で話ができるような感じで、知人が永遠の世界に旅立った事を受け入れることは難しい。

     一方で私は死刑囚だった人のお二人の「刑死」の方の葬儀をさせて頂いた。ご遺体を拘置所から引き取った日の顔、そして翌日の顔は違っていた。刑死した彼らの顔は二日目、三日目と髭が伸びていた。昨日の彼らは生きていたのだろうか。いや、ただ生物的にバイタル=呼吸、脈拍、血圧、体温などの生物的徴候によって「死」だ、と知らされて受け入れようとしていただけなのか。

     これまでの人生の中で多くの知人や友人の「死」を経験してきた。今日は悲しいし寂しい。それは、もう私自身の天井が見えてきたからなのか、どのようにして知人の「死」を受け止めていけばよいのかわからない。 合掌

     視察2日目は「世田谷区子どもの人権擁護機関=せたホッと」です。
     昨夜は立川市に宿泊したので徒歩で立川駅へ、JR南武線、小田急小田原線と乗り継ぎ経堂駅で下車して徒歩で視察先へ行きました。34度という暑さも、久しぶりに保坂区長と会えると思うと足取りも軽くなりました。保坂区長とは2000年に「土井たか子・社民党」で衆議院選を戦い当選した仲間です。現在彼は人口約90万人になろうとしている世田谷区の区長として頑張っています。国会を去って後、氏は地方自治体の首長に、私は議員、と立場は違いますがそれぞれの出身の地で地方政治に参加できることは嬉しいことです。

     「せたホッと」では子どもサポート委員をしている弁護士の市場順子さん、日本体育大学準教授で教育制度・子ども支援学を専門にしている半田勝久先生から説明を受けました。世田谷区は「子ども条例」を策定しています。沢山の資料の中に全国の「子どもの権利に対する総合条例設置自治体一覧表」があり愛知県ではお隣の日進市が2010年4月施行していました。この情報は長久手市の議員としては刺激になりました。

     子どもの人権救済機関「せたホッと」事業は始まって4年目ですが小中学生に浸透してきていて相談の6割が子どもです。条例の前文には「子どもは未来への希望。将来へ向けて社会を築いていく役割を持っている。一人の人間としていかなる差別もなく尊厳と権利が尊重されます」と書かれています。権利侵害の相談だけでなく対人関係や家庭の悩みの相談にも乗って子供たちを支えていることがわかりました。
     子どもの問題にはいくつかの関係機関があります。
    ①教育機関・・子どもの在籍校・教育委員会等
    ②区の機関・・こども家庭支援センター・療育センター等
    ③東京都の機関・・児童相談所・区内警察署(特にストーカーなど)
     これらの機関と「せたホッと」は連携して子どもの最善の利益のために協力しながら活動しています。

    【写真は保坂区長。予定を調整してせたホッとへ来て質問に応じてくれました】
    世田谷区視察②
     保坂区長の第一回目の選挙の公約オンブズパーソンが形になったものがせたホッと、と話してくれました。
    世田谷区視察③
    【区長とサポート委員の皆さんとの記念写真です】
    世田谷区視察⑥
    【せたホッと事務局】 相談・調査専門員4名、事務局4名体制

    世田谷区視察④
    【子ども・子育て総合センターの3階に「せたホッと」事務局があります】

     保坂区長とお会いするのは「土井たか子社民党・党首 お別れの会」以来です。少し厳しそうなお顔をしていましたが、区長と言う仕事の一面が表れているようにも思いました。帰りがけに氏から著書をいただきました。
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     この視察では「先進自治体から学んだこと」以外にも、委員会の仲間と同じ釜の飯を頂いてお互いの気持ちが理解しあえるという清々しい体験もできました。車依存の生活では駅の階段の上り下りは苦手です。山田健太郎議員、山田和彦議員が私の重い荷物にそっと手を貸してくれました。私たちは考え方も思想も人生観も違います。しかし、同じ議会人としての仲間からこのような思いやりを頂き二日間の視察が無事に終えることができました。ここで学んだことを市民のために活かそうねと委員会の意見もまとまりました。
     8月31日から始まる9月議会では活発な委員会審議ができる予感がしています。 

    日野市視察④
     今年度の教育福祉委員会のメンバー6人です。新幹線新横浜からJR横浜線→JR中央線・日野駅で降りました。議会事務局の随行職員が東京に住んでいたことから乗り換え時間等、ゆとりをもって日程を組んで頂けたので視察もじっくりできました。地理に不慣れな委員ですが随行職員の道案内に本当に安心して到着できました。

     日野市では「在籍校で行っている発達障害児の教育」について学びました。
    日野市全体で取り組まれている特別支援教育とユニバーサルデザインの教育づくりは、とてもきめ細かに実施されていてこのきっかけを作った元校長先生の宮崎芳子先生の説明により、詳しく理解できました。宮崎先生は各地へ要請があれば講演にも出かけているそうです。宮崎先生は平成19年に自分の勤務している小学校で発達障害の子どものために「個別的配慮ができる・リソースルーム」をつくり、平成28年度には日野市の全学校17校、中学校5校に拡大されて昨年だけでも350人以上が利用したそうです。小学校でこのリソースルームに通った子の中学校での不登校は0になったそうです。

     基本的な考え方は「教育のユニバーサルデザイン」=どの子にとっても良い授業づくりでした。例えば高齢者や障がいを持った人、妊婦さんなど配慮が必要な人の為に、中部国際空港(セントレア)の3階出発ロビーの中央には、エスカレーター、階段、エレベーターなど、どのような身体的状態の人でも3階~4階を往復できるユニバーサルデザインが取り入れられていますが教育の現場で、特に発達障害というように表面だけではわかりにくい個性を持っている子供にたいするユニバーサル教育は私たち委員も理解することに大変苦労しました。
     この制度は「ひのスタンダード」として「特別支援教育のスタンダード」という書籍にまでなり現在10刷にまでなるほど広がっています。
    日野市視察①

    日野市視察②
    【向かって左側の女性が宮崎芳子先生です】
    日野市視察③

     トランプには上下にすると左側にA♠・・となっていますがこれは右利きの人用、ユニバーサルデザインは四隅にA♠と書いてあります。左利きの人でも数字と記号がわかるように・・。このようにユニバーサルという考え方を一から説明していただけたので事務調査が終わるころには概略がわかりました。

     まさに先進地視察です。また、駅から徒歩の距離ではないということから日野市議会事務局からワンボックスカー2台で送迎もしていただき一泊の荷物を抱えての移動の負担が軽くなりました。
     大変おせわになりました。ありがとうございました。

    おんぱく⑦
     2016年のおんぱくの最終日、文化の家館内は小さな子供さんを連れた人々でにぎわっていました。私も先月の議会最終日での「議場コンサート」が、長久手市を巻き込んだ音楽イベント「おんぱく」の一環として行われたこともあり一日パスポートを購入して館内へ入りました。文化の家でこのように小さい子どもやバギー車に子どもを載せて楽しむ人々を目にしたのは初めてです。
     朝から全ての部屋で14もの音楽体験コーナーが作られて沢山の子ども連れの人々がワークショップなどを楽しんでいました。長~い行列が沢山の会場に出来ていました。

    ★あなたも名指揮者・・歩き始めた?自分の名前を言えるようになったばかりの子どもさんが小さなオーケストラを指揮していました。
    おんぱく①

    ★管内イベントのタイムスケジュールを見ながら・・しかし、受け付け終了の張り紙が目立ちました。
    おんぱく④

    ★ペットボトルを利用した手作り楽器(マラカス)
    おんぱく③

    ★最後の最後のフィナーレは森のホール(大ホール)でのオーケストラ・コンサートです。開場の40分前から長~い行列が出来ました。こればかりは私も辛抱強く並んで待ちました。ホワイエには何と沢山のバギー車が。そうですね、歩き始めたばかりの子どもさんには必需品ですね。
    おんぱく⑧

    ★並んだ甲斐があって無事に座ると、そこには楽器を持ったおんぱく王国の騎士が次々に入場してくる小さな子供さんを案内していました。
    おんぱく⑨

    ★席の一部を平土間にした会場内。おんぱく王国のスペシャル・オーケストラの演奏に体でリズムをとりながら両親やおばあちゃん、おじいちゃんと楽しむ小さな子どもで熱気が一杯でした。
    おんぱく②

    ★最後の最後、大ホールの天井から紙吹雪が舞ってきて会場は溢れんばかりの拍手でした。
    おんぱく⑤

    ★全てのプログラムが終わっても余韻に浸っている親子ずれ・・。
    おんぱく⑥

     文化の家は開館して18年、多くの文化芸術を発進してきました。おんぱくで目にした風景は親子ずれが多かったことです。数人のママたちに訪ねてみると毎年小学生の子どもの為にイベントを予約し場合によっては抽選になるイベントもあると話してくれました。市外からの申込者もいて驚きました。人気が定着している~!
     いつもはクラシック音楽、ジャズなどのコンサート、寄席、ブラスバンド、演劇など多くの自主事業が催されていますが「おんぱく」は親子で楽しめる素晴らしいイベントとして定着していることに本当に驚きました。
     
     特に目をひいたことはお父さんが小さな子どもを連れておばあちゃんと一緒に参加している家族が多かったことです。私は勝手に、この日は家族が「ママに子育てのお休み」をプレゼントしているのかな~と思いました。

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