2016年04月

    見慣れたふるさとですがいくつかの名所があります。幼い頃、といっても小学生の頃は隣の部落へ出かけることは地球の果てに遊びにいくような遠さを感じました。迷子になって家に帰れなくなったらどうしようか!でも好奇心は一杯です。写真の「駒止めの桜」は幼い頃勇気を出して遠出をして見に行った所です。
    駒止めの桜①

    駒留の桜

    駒留の桜④

    この桜の木は「狩宿の下馬桜」と呼ばれ、源頼朝が狩りの時に桜の枝に馬をつないだと伝えられています。赤芽のシロヤマザクラで開花時期は4月10日~20日頃です。出かけた日はちょうど花の見ごろの時期でした。国指定の特別天然記念物に戦後指定されました。一時は枯れかかり花もわずかでしたが若芽の成長により見事に樹勢を盛り返していて多くの人々が訪れていました。鎌倉幕府初代将軍の頼朝が鎌倉に幕府を開く前に富士川の戦いに大勝したとあるのできっとこの頃にこの桜の枝に馬をつないだのだろうかと900年も前の時代に思いをはせながら桜を眺めました。目通り8、5メートルです。人が立って目の高さの幹の太さがおおよそ8,5メートルです。横へ横へ枝が張り頼朝時代の雄姿をしのぶことはできませんが歴史のロマンを感じました。

    下馬桜と次の写真の「井出家高麗門と長屋」は関係があります。頼朝は富士の巻狩り時に井出家を宿舎としたそうです。井出家は中世以来の歴史を持つ名家です。幼い私の目に映っていた頃から立派な門構えの大きな屋敷でした。なぜか恐ろしくて遠くから眺めているだけでした。
    井出家高麗門②
    ※井出家の高麗門、両側は付属の長屋です。
    井出家長屋昭和の品③
    ※付属の長屋に展示してある昭和初期のテレビと真空管ラジオです。
    井出家庭椿⑤
    ※門から屋敷に入るとこのような椿が咲いていました。花々で溢れた庭です。

    ここから車で15分ほど北の方には田貫湖があります。標高650mの田貫湖は、白糸の滝、朝霧高原とならぶ私の自慢のふるさとです。広大な朝霧高原の一角に位置して富士山の全景を真東に仰ぎます。東西1㎞、南北0,5メートル、周囲4㎞と小さな湖です。周囲はサイクリングロードになっています。
    ちょうどこの季節、湖畔には沢山の桜やツツジが美しく咲いていました。
    豊かな自然に抱かれている小さな田貫湖はふるさとに帰った時は必ず訪れる大好きなところです。
    田貫湖桜

    田貫湖桜⑧

    田貫湖桜⑨
    ※次の写真だけは富士宮市のHPからです。この日、富士山は雲に隠れていました。
    田貫湖⑩
    数年前「世界遺産」になった富士山。裾野が広がり雄大なその姿の美しさに何度見ても心が奪われ、また気持ちも癒されます。
    少し前に、娘に「お母さん私のふるさとはって聞かれたらなんて答えるの?」と聞かれました。難しい投げかけでした。辞書をみると沢山の説明がありました。生まれ育った所。私の場合は「富士山の麓」で生まれ育ちました。娘は松山で生まれて長久手市で育ちました。娘に「長久手で育ったから、長久手じゃないの?」と。あまり良い顔はしませんでした。松山でもいいし、長久手でもいいのかなって話したらにっこりしたことを思い出しました。

    庭の花⑥
    私の故郷は高速道路を利用すれば2~3時間のところにあります。近いようで遠い故郷です。富士山麓にあるので長久手市よりも春は一足遅くやってきます。とても田舎なのでどこの家でも、空いている土地はよその家の土地であっても何かしら利用しています。家庭菜園や花の種をまいたりと。姉もそういう人の一人です。私に一生懸命花の名前を言いながら「このアイリスは毎年同じところに必ず一つ咲くの」というようにです。
    これがその一本のアイリスです。
    庭の花⑨
    母も花が大好きで、人が住まなくなり空き家になった家の庭にまで、元気なころは花の種をまき咲くのを待っていました。一年中花が絶えないように、苗や球根、種などを「いつ頃」植えたり蒔いたりするのか考えながらしていると話してくれました。そして、花の説明をする時は必ず古今和歌集(春)の詩を口ずさみます。「人はいさ心も知らず故郷は花ぞ昔の香ににほひける」と。一年に数回しか実家に帰れない娘を歓迎しての母の定番の詩です。私には「野に咲く花をみたら故郷や我が母を思い出しなさいね」という母の気持ちが痛いほど伝わってきます。
    庭の花④

    庭の花⑧

    庭の花②
    庭の花⑦
    庭の花①

    庭の花③

    庭の花➄

    ⑪母97歳
    97歳の母です。あと3年生きれば100歳になる・・・が口癖です。両手で杖につかまりながら家の中は一人で移動します。トイレも時間をかけて一人でします。週に四日のデイサービスが気にいっているようです。

    新東名高速道路が4月に入って豊田~御殿場間開通した。以前、東名高速三ケ日JCTから新東名に入り故郷へ帰ったことがある。新しい道路なので滑らかな走行と、車線も少し広く、山を切り開いて作っているので海岸線沿いを走る東名高速よりも直線部分が多くて快適ではあった。

    ところがいざ視点を変えて走って見ると様々な事が思い浮かんできた。その一つにトンネルの数がある。名古屋インターから新富士インターまでの間に、多分40~50はあった。
    トンネル③

    トンネル④

    トンネル➄

    トンネル⑥
    ほとんどのトンネルが上下線同じ高さで並んでいる。大雨で地盤が緩んだ時にはどうなるんだろうと心配になってしまう。
    トンネルの中②
    トンネルの中は曇り空ほどの明るさで走りやすかった。
    山の中央に道路⑦
    山の中央を切り開いている箇所もたくさんあった。
    高速道路の楽しみの一つにはサービスエリアでの買い物と食事がある。
    岡崎サービスエリア①
    この写真の岡崎SAにはドッグランがあった。
    ドッグラン⑨
    トイレはどこのSAも綺麗で、赤ちゃんや小さな子ども、お年寄り、傷がい者に対して優しいつくりになっている。女性に対しては身だしなみを整えるスペースもたくさんあった。(笑)
    キッズトイレ⑧
    数十年前に新東名ができるということは聞いていたが実際に走行して、これは何兆円という公共事業なんだろうと思った。高速道路は通行料金によって建設費が回収できたあかつきには無料になるということだが、それまでに一体何十年かかるのだろう~。考えてみると建設事業費が莫大にかかるためそのコスト回収の必要性からサービスエリアには随所に集客のための工夫がされていることが容易に想像できる。レストランの決して安価とはいえない食事メニュー、お土産店の多さ、ドッグラン、ユニバーサルデザインのトイレ・・等々。この工夫のすべてが利用者を増やすことにつながるのか少々疑問にも感じた。

    トラック輸送という物流の他に、何かちがう視点の設計が見えてくる。緑の木々が削られて薄茶色の山肌が点在している風景。ネットで注文して翌日には届く買い物。新しく開通した新東名を走り故郷へ帰る車の中で様々なことを思った。
    新富士インターをおりて母の待ちわびている故郷の富士山は曇り空ではあったがうっすらと姿をみせてくれた。
    ⑩故郷の富士山

    昨日市内小学校の入学式の後、会派の上田議員と次回の議会運営委員会までの検討課題となっている「長久手市地域防災計画」に連動して市議会での災害時の行動をについて打合せました。

    27年4月1日から施行された長久手市議会基本条例第21条は「第10章・災害時の対応として」、「議会は、大規模災害等の緊急事態が発生したときは、市民の生命、身体及び財産に関する安全及び安心を確保するため、市長等と協力し、議会としての体制の整備を図るように努めるものとする」となっています。

    先期の議会で議会改革の一つとして条例はできたものの具体的な中身が出来ていない条項があります。第21条もその一つです。議会運営委員会で今年に入り災害時の議会としての対応を定めようということで協議を重ねてきました。青山直道委員長が陸前高田市議会の要綱、指針、マニュアルをたたき台として準備をしてくれましたのでとても参考になりました。ちょうど、市の地域防災計画が3月末にできあがるのでこれに合わせた形でマニュアルを議会で制定しようと意見がまとまりました。各会派が持ち帰り次回4月19日の議会運営委員会で協議します。私たちもマニュアルと市の地域防災計画を照らし合わせながら「災害対策行動マニュアル(案)」について全体の構想を協議しました。
    (1)趣旨
    (2)行動原則  
    (3)行動基準 初同期、中期、後期 等々です。
    ここで上田議員と力をいれて協議した点は、大規模災害とは、例えば地震の場合は震度が何度と想定したらよいのか(市の防災計画を参考にしました)。また私たち議員の立場をどこに置き、市が設置する「災害対策本部:本部長は市長」と、どのような関係を持つべきか・・・などという点です。

    議員は市の災害対策本部のメンバーではありませんので、居住地域での救援・救護活動や情報収集をしたうえで、災害発生3日後をめどに議会として具体的な調査活動に入った方がいいよね!などと上田議員と話し合い文章にまとめているときに、青山委員長が会派室に来られてマニュアル(案)のペーパーを差し出されました。
    何という事か、さすが議会運営委員長です。私たちが苦労するだろうと推察してご自分でたたき台を作成して下さっていました。

    この時から潮目が変わり、私たちの(案)との違いを確認して、また市の防災計画との整合性をはからなければならない箇所のチェックを行い、夕刻までには会派としてのマニュアルの準備ができました。
    長久手市地域防災計画①
    上田議員と会派を組んで1年になります。会派名は「政策グループ ガイア」、名付け親は上田議員です。1年目はお互いに個人の議会活動で精いっぱいでした。2年目は会派制度をもう少し活かせるような活動することで意見が一致しました。会派制度も会派室もなかった町議会を経験している私には、会派室のあるありがたさを改めて実感しました。

    今日は市内6つの小学校で一斉に「入学式」が行われました。
    市内では756名の新1年生が誕生しました。
    ★北小学校     6学級  182名
    ★西小学校     3学級   94名
    ★南小学校     4学級  125名
    ★東小学校     2学級   51名
    ★長久手小学校   3学級  103名
    ★市が洞小学校   6学級  201名
    北小入学式②
    私は北小学校区に住んでいますので「北小学校」の入学式に行ってきました。校長先生、教頭先生新任ですがお二方も市内の学校に勤務されていましたので安心です。

    体育館が式場です。先月は6年生をこの会場で送りました。今日は可愛らしい1年生をお迎えです。パイプ椅子に腰かけている姿ですが足が床に届かずぶらぶらしている姿がとってもカワイイ!が第一印象です。しかし、両手は膝の上に揃えておいて座っていて「1年生になった」もう幼児ではなく児童になった~という雰囲気が伝わってきました。

    校長先生の式辞で「ご入学おめでとうございます」と先生が挨拶した時に「ありがとうございます」と全員が応えたときには感激しました。先生は、自分が言われて嫌な事は友達に言わないようにしようね。体の傷は治るけれど心の傷は治らないから・・と。また。仲間はずれにしない、自分の命を大切にする、交通ルールや学校でのルールを守って生活してくださいねとお話されました。またまた1年生は「はあい」と大きな声で応えました。

    市長の代理として「くらし文化部長」がメッセージを読み上げました。保護者にたいしては、他のこどもと比較しないで、自分の子供の成長を感じて、ギュッと抱きしめてあげてくださいね・・と。

    校歌は先生全員が舞台に上がって歌いました。歌い終わると会場から大きな拍手がありました。司会の先生から「校歌を歌って拍手を頂いたのは初めてです・・」と。

    北小入学式①
    北小は先月の卒業生は114名で3クラスでした。しかし、今日の入学式では6学級182名の一年生を迎えました。
    校舎の増築が急務です。地下鉄藤ヶ丘駅に近いことも有り大型のマンションが建設中でこれが完成すると300戸ですから平均世帯人数を2,5人としても750人この地区の人口は増えます。

    先生方も人口増に伴う学級数の増加に頭を悩ませていました。
    北小入学式④
    入学式とこれからの学校生活の説明会が終わり、子供たちが教室にくるのを待っている1年生の教室です。
    北小入学式➄
    校舎の玄関です。
    北小入学式③
    真っ先に出迎えてくれたのは校門の看板でした。
    新1年生のみなさん、たくさん遊び、学んで、大きくなって次の時代を宜しくお願いしますね。

    このページのトップヘ