2016年04月

     正味二日間は短い旅でした。4年ぶりの旧友、クラスメイト、みんな元気な姿でお会い出来て次回の再会も約束しました。私は韓国語が話せないけれど、日本語が達者な韓国人が不思議と集まってきます。大きな成果は、韓国は数年前に携帯電話番号が大幅に変わり連絡の取れない友人が多くいましたがそういう友達の連絡先も知ることができてお互いに元気で暮らしていることも確認出来ました。

    ホテルをチェックアウトして空港へ。帰りは空港行きのリムジンバスを利用しました。
    ソウル発④
    ※3泊4日お世話になったホテルです。
    ソウル発②
    ※仁川空港行きのリムジンバス車内。3列シートでゆったりできます。ところが市内中心部にもかかわらずすぐに満席になり数か所のバス停でスーツケースを持った多くの乗客が乗れませんでした。15分間隔で便がありますがちょっとかわいそうです。高速バスであっても市内の渋滞はすごくて私も飛行機の出発時間ギリギリに着きました。見送りに同行してくれた友人と別れを惜しむ間もなく飛び乗りました。

    ソウル発①
    ※韓国の空港にふさわしく水色のKAL(コリアン航空)の飛行機が目立ちます。

    ソウル発③
    ※間もなく中部国際空港に着陸です。さて、頭の中を日本に切り替えて明日からの5月を迎えなくては・・。

     思い出は、韓半島の最南端、木浦市の近代の日本と韓国の歴史の跡を学ぶ事が出来たことです。2003年当時、李洛淵知事は国会議員としてノムヒョン大統領の来日の折、大統領の国会演説を起草した人です。私は日本の議員として当時その演説を議場で聴きました。「韓日には過去の一時期不幸な歴史があります・・・それを乗り越えて未来志向で・・・」というくだりは13年後の今日でも脳裏に焼き付いています。
     共生園という孤児院をつくった田内千鶴子さんは、この不幸な歴史の真っ只中においても韓国人の孤児を育て現在も尚、お孫さんたちが意思を継いで頑張っている。国政レベルでは慰安婦問題、領土問題などでお互いが主張を語り決着がついていませんが、民間レベルでは両国民が経済、学問、文化面で交流しあって仲良くしている・・こういう現実を草野の根からこれからも続けていきたいな、と改めて思いました。そういえば私もズボンにセーターという普段着でした。

     韓国での楽しみの一つには買い物があります。久しぶりの東大門市場のジーパン屋さんも顔を覚えていてくれました。来るたびにジーンズには流行があります。二枚選び5分ほどでサイズ直しが済みました。日本と比べると普段使いの衣料品はお値打ちです。ところが今年1月からソウル便の航空会社の預ける荷物に制限が設けられました。預け荷物は一つで23kgまで。私の場合は重量はOKでも個数が増えそうな気がしたのでロッテマートで買い物をしてその場で段ボール箱に詰めて国際郵便=EMSで送ることにしました。
    ソウル4月29日③
    ※旧ソウル駅
    ソウル4月29日④
    現在のソウル駅です。ここからKTX(新幹線)、仁川空港などへの電車が出発します。このちょうど中央にロッテマートがあります。今日も市民に交じって旅行者が大勢買い物をしていました。
    ソウル4月29日⑤
    清渓川(チョンゲチョン)。ソウル市内の中心部を流れています。朝鮮王朝の時代からの川ですが高度経済成長期に臭気がひどくて蓋をしていました。ところが、李明博(イミョンバク)大統領時代に工事をして人工河川として生まれ変わり、今では市民の憩いの場となっています。宿泊ホテルから徒歩2分ほどです。
    今日も友人夫妻がお付き合いをしてくれました。夕食は留学時代のクラスメイトのキムホーソプ氏と4人で会食です。何故か気があって二次会も江南区にあるお魚が美味しいといわれている食堂に行きました。
     これが、定番のメニューです。
    ソウル4月29日①
    焼肉でお腹が一杯でしたが、おいしそうなお刺身に箸がすすみました。と、そこに友人夫妻の友達が若い女性に囲まれて写真を撮られています。何と、俳優!?韓国では金大中大統領にかわいがられて代15代国会議員をしたことがあり、現在もお茶の間の番組に時々出演しているそうです。
    次の写真の右から三番目の方です。
    ソウル4月29日②
     俳優の名前は、鄭漢溶(チョン・ハンヨン)さんです・・右端がクラスメイトのキムさんです。
    俳優のチョン氏は韓流ドラマ「天国の階段」=主人公=チェ・ジウ、クオンサンウ でチェジウの恋愛ライバル役のキムテヒの父親役で出演したそうです。58歳です。失礼ながら俳優とは思えませんでしたが私のまわりにいる韓国人の男性と比べると俳優的な顔立ちに見えてきました。彼らの仲間のテレビ局のプロデューサーなど色々な人々と、韓国語、英語、日本語を交えて楽しくお酒を飲みました。

    今日の友達は殆どの人が英語を話せます。俳優チョン氏が言いました。外国語が話せると世界が広がり物事の見方も変わるよって。そうかもしれませんね。私も若いころもっと勉強しておけば良かったなあ・・と思いながらホテルに戻りました。

     韓国の旅二日目・・李洛淵(イ・ナクヨン)知事には昨夜ソウルに着いてから電話をしたのですが急きょお会いする日程を作って下さいました。知事とは2000年にそれぞれの国で国会議員になり「死刑制度廃止議員連盟」の活動を通して知り合って以来の旧友です。氏は議員4期目の途中で国会議員を辞して故郷の全羅南道の知事に立候補して当選しました。議員と違い10分刻みで日程があると秘書官が話してましたがやり繰りしてくださったと思いました。留学時代からの友人夫妻が車を出してくださったので一緒に小旅行という一日でした。ソウルからは韓国版新幹線KTXで2~3時間、車ですと4時間です。インターチェンジには日本語通訳の女性が乗った車が待っていて道庁まで案内してくれました。
    知事と①
    ※李洛淵知事と私です。
     え?これって私のこと?23階建ての高層ビルの道庁の玄関を一歩入ると目を疑うような大きな歓迎の幕が飛び込んできました。知事は政治家になる前の20代の頃、韓国新聞(東亜日報)の東京特派員をしていました。日本語は日本人よりも上手で日本の隅々のことを深く知っています。道庁の23階が知事室で22階までは道を構成する22の地方自治体の為にあると達者な日本語で話してくれました。直通のエレベーターで案内されましたがそこにも次のような歓迎の看板があり、驚きました。
    知事と②
    知事室での面談は約30分ほどでしたが懐かしさと、知事の仕事の話で時間はすぐに過ぎてしまいました。
    知事と③
    ※知事室の応接テーブルで。

    知事と⑤
    ※右端と左端のお二人が友人ご夫妻です。奥様は日本に留学していたので不自由なく日本語が話せます。

    私たちのアポイントは夕方でしたが午後2時頃までに着くように言われてました。そこには知事の日本人である私へのある思いがありました。全羅南道は韓半島の南西にあり日本はすぐ隣です。日韓の近代史を物語る跡がありそこを見てほしかったと後で知りました。私たちは国際協力官室の日本語通訳の朴淳任(パク・スンイン)さんの通訳と現地のガイドさんの案内で三か所を視察することができました。

    ① 【木浦(もっぽ)近代文化通り地区】
    旧日本領事館、旧東洋拓殖株式会社の建物が当時のまま歴史館としてあります。
    木浦近代歴史跡①
    ※旧日本領事館です。116年前の姿のまま文化財として保存されています。煉瓦は大阪から運んできた赤レンガです。この地域で最も古い建築物です。(写真前列右端の女性が日本語通訳のパクさんです)
    木浦近代歴史跡④
    ※東洋拓殖(株)という貿易会社のビルです。韓国で4番目に開港した木浦港です。当時はロシア、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本人しか住むことが許されなかったそうですが、ロシア人は来なくて90%が日本人だったそうです。日本人によりつくられた町で木浦市の歴史の出発点であったそうです。日本人がアメリカ産の綿を木浦で安く生産して貿易をしておりその貿易会社のビルです。次の写真はビルの中の金庫で綿が入れてあったそうです。
    木浦近代歴史跡③
    ※グレーの扉が金庫のドアです。中は金庫というよりも大きな部屋でした。
    木浦近代歴史跡②
    ※1928年ウエダルド海水浴場です。着物姿の女性は日本人です。

    ② 【共生園・児童養護施設】
    1928年生まれ日本人、田内千鶴子さんが木浦に開設した児童養護施設です。日本に6年間おりその後50年間この地で亡くなるまでに3,000人の韓国人の孤児を育てた女性です。現在は60名ですが朝鮮動乱の時は500人~600人の孤児の面倒をみていた方です。知る人が誰もいない韓国で3,000人の母として生きた方です。
    共生園③

    共生園②
    ※田内千鶴子さん(韓国人と結婚して朝鮮名に=尹鶴子)のお孫さんの鄭愛羅(チョン・エラ)園長さんと庭で。

    ③ 【金大中ノーベル平和賞記念館】
    韓国第15代大統領であり、韓国人初のノーベル平和賞を受賞した故・金大中大統領の生涯を様々な映像や資料で見ることができました。ソウル市内ではなく、出身地に建てられ子供たちにはノーベル賞とはどういうものか学ぶ事も出来るようにつくられています。
    金大中記念館①

    金大中記念館③

    金大中記念館②

    金大中記念館④

     李洛淵知事の招待で初めて訪れた故・金大中大統領を輩出した全羅南道木浦市でした。夕食には間に合わないということで、前在日本大韓民国・仙台領事を務めた国際関係大使の李凡淵(リ・ブヨン)氏との会食の席を設けて下さいました。大使は日本語が私よりも上手で日本の文化もとてもよくご存知で素敵な方でした。5月からは、在ヨルダン大韓民国大使として朴大統領から辞令をいただいたと話してくれました。今日が道庁最後の日とか、また一人ご縁を頂きました。
    夕食会③
    ※58歳のイケメンということで道庁の女性職員たちはヨルダンへの赴任を寂しがっているそうです。((´∀`*))
    夕食会②
    夕食会④
    写真のおご馳走を皆さんで食べ終わった頃に、知事が突然出現です。みんなビックリ。さてそれから日にちが変わる直前までお酒を飲みながら談話して、ソウルに戻ったのは午前3時。李洛淵知事のシナリオ通りに過ごした一日でした。「地方政治は楽しい、市民に身近でやりがいがありますね。道庁職員には、市民の立場で仕事をしなさいと毎日言っていますが4%の職員が理解しているだけです・・・」この李洛淵知事の言葉は私の心にもズンと響きました。

     思い立ったら吉日・・という感じで久しぶりの韓国の旅です。いつも利用している旅行会社が閉店したので今回はH.I.Sから往復の航空券を手配してもらい、ホテルはソウルの友達が明洞(ミョンドン)にロッテホテルがシティホテルをオープンしたということでそちらを予約しました。

    久しぶりの中部国際空港です。行きは気流の関係で飛行機が揺れて機内食サービスが途中で打ち切られました。少し怖かったです。無事に仁川(インチョン)国際空港に着陸、わ~韓国にきたんだ!ところがわずか1時間30分のフライトなのに入国審査に1時間かかりました。審査を待つ人、人、人、実はこれだけではなくおまけがあったから時間がかかったと判明しました。審査官がパスポートを見ながらOKになると顔写真、次に両手の人差し指を指紋採取機器の上に置き撮影されました。手荷物を受け取りにターンテーブルへ着いたときには既に届いたスーツケースがまとめて置かれてありました。

    ゲートの外には友人夫妻が真正面で待っていてくれました。4年ぶりでしたがすぐにわかりました。日本ではめったにしないハグが自然にできてしまうのも外国だからでしょうか。
    空港②

    空港①
    ソウル市内の渋滞は以前よりも激しくなっていました。空港は仁川市にあるのでバス、電車でも1時間ほどかかりますが車ですともっと時間がかかります。久しぶりの訪問ということで少し市内をドライブしてくれました。
    ソウル市内①
    ※韓国独立門。
    ソウル市内③
    ※ソウル中心地のあたりです。
    ソウル市内②
    ※ソウルの町中にはこのようなお寺がビルの谷間に沢山あります。

    旅行にとってホテル選びは日頃の疲れを癒す大切な宿泊先でもあり、また交通や人と会うための利便性も考えて探します。部屋からのビュ―も。今年1月オープンのロッテシティホテル明洞は初めてです。日本人の宿泊客はお目にかかれず、中国人、アラブ系、ヨーロッパ人ばかりでした。コンビニが併設されていたのでビールがすぐに手に入り嬉しかったです。
    ホテル①
    ※ホテルの前にはお辞儀をしている青銅色の像があるのですぐにわかります。
    ホテルから
    ※25階の部屋からのソウル市内です。韓国は高層ビル(30階前後)が増えたと感じました。このビューはとても気に入りました。2005年にソウルの大学院へ留学した時に借りていた部屋も偶然25階でした。11年前二か月で留学を決意して、韓国領事館で留学ビザを取得し、部屋を探し、飛んできたソウル。友達ができるまでの孤独な日々を慰めてくれたのは高層ビルからの景色でした。
    ジンネックスビル

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    ※夕食後11年前留学中に住んでいたマンションへ友達が案内してくれました。懐かしい~!ジンネックスビル25階です。江南区のルネッサンスホテルの斜め前にあり、近所には銀行、マーケット、郵便局、空港行きのリムジンバス停、コンビニ、地下鉄駅も近くて生活には便利でした。しかし、道路は広く横断するのも一苦労、ビルも敷地が広いので余裕を持って外出しないといけません。これも今では楽しい思い出となりました。

    さて、夕食は友達一家が普通に出かける焼肉のお店です。
    夕食①
    お肉を注文すると、周りにある数種類のキムチは必ず出されてお代わり自由です。お肉もお店の女性が焼いてくれ、食べやすいように切ってくれます。
    夕食②
    日本では、たべれない「ユッケ」です。恐る恐る食べましたが「マシッソヨ:美味しい~」。

    さて、明日は二年前に国会議員を辞職して全羅南道の知事に就任した友人が「是非、お会いしましょう」と時間を作って下さいましたので地方への日帰り小旅行です。

     昨日4月24日(日)は朝から行事が重なっていました。その一つが今年度の組長による初の「定例役員会」です。今年は町内会の組長の番がまわってきました。欠席できません。また午前中は体育協会主催の「スポーツの祭典」と重なりこちらを欠席しました。いつもグランドゴルフをするのが楽しみです。一度だけ上位に入ったことがありそれから参加するようになりました。午後はフォレスト合奏団の演奏会へ。終わると夕方です。急いで日進市のにぎわい交流館へ車を走らせました。う~む、久しぶり!この交流館は前日進市長の佐護彰市政の時に設置されたと聞いています。
    にぎわい交流館②

    にぎわい交流館③

    にぎわい交流館①
    ※にぎわい交流館です。二階の会議室で実行委員会です。階段の矢印の案内がわかりやすくてナイス!と思わず口にだしてしまいました。

    佐護氏が日進町会議員の時に私は長久手町会議員に同じ政党から送っていただきました。佐護氏の市長選出馬時には周辺自治体の仲間の議員や友人がこぞって応援して「当選!」を市民の力で勝ちとりました。この頃から尾張東部の自治体には女性議員も増えて地方議会が変化してきていることを感じはじめました。

    しかし、あれから十年余・・・。5月20日に次のチラシの緊急集会を開催する社会がこようとは。
    半田滋氏講演会
    この日は当日の役割分担、チケットの売り上げ状況などを確認しました。
    今年は参議院選挙があります。日程は確定ではありませんが6月22日公示、7月10日投票とマスコミで報道されはじめています。
     立法府である国会で「戦争ができる国」の道を開けさせてしまったのですから、選挙で元に戻すしか方法はありません。権力を持った側は力づくで何でもしかけてきます。私たち国民のしらない所で緩やかにやってきます。
    まず、マスメディアから報道の自由を奪うでしょう。メディア規制3法が成立してしまい既にその時代に入ってきています。当日は350人の会場です。半田滋氏の話を聞いていただき、同じ考えの議員を一人でも多く国会へ送りたい、投票日までに私たちができる草の根の運動はどれくらいの風をふかせることができるかわかりません。しかし、だまっていても何も始まりません。白井えりこ日進市議の声掛けで私も参加していますが、長久手からも当日は一人でも多くの方に集会に参加していただきたいと思っています。
     
     マスコミの論評を聞いた人々から、現政権のこと、与党、野党について多くの意見をお聞きします。政治について評論することは面白いことかもしれませんが、政治=毎日の、これからの私たちの生活という視点をもって活動していきたいと思っています。当日はワンコイン=500円を持って是非ご参加いただけますよう宜しくお願いします。 

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