長久手市役所周辺の稲も穂をつけはじめ、収穫はいつ頃だろうかと感じる季節になりました。
     令和元年8月16日②
    今日は、市議会の教育福祉委員長という宛職で委嘱された民生委員推薦会委員の仕事日でした。任期は3年。
    ・11名中9名の委員が出席し、来期(令和元年12/1~令和4年11/30)の一斉改正の民生委員・児童委員の候補者について賛否をとりました。全員賛成で愛知県に候補者として推薦することになりました。
    ・48人が継続で8人が新任で計56人です。(男女別では前回まで男性は30%、現時点男性14人、女性42人)

    ・ところが本市の現状は67人ですからまだ9地区で担当者が決まっていません。これは大変なことです。実は昨年度、愛知県から来期の一斉改正に向けて定数の照会があり、民生委員役員会から10名増員するという意向があり定数77人と申請すべきところを、福祉課のミスで現状の67人で申請が完了したことが発覚しました。

     3年間変更ができない申請にも係らず、民生委員役員会と福祉課での連絡調整が出来ていなかったのです。このことに起因して15人から辞表が提出された経緯があります。10人増員で77人になるはずが15人欠員となると52人になってしまい、福祉のまちを掲げる長久手市にとっては重大な問題となります。

     この問題は、本年3月議会の予算決算特別委員会・教育福祉分科会でも議論され、福祉部長は「民生委員以外の社会資源との連携も含めて打合せする・・」と答弁しました。

    このことを引きずっているので、現在にいたっても未だ9人が決まっていない状況であると察しました。
    ・民生委員法では「民生委員は、社会奉仕の精神を持って、常に住民の立場に立って相談に応じ、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努める」とあり、給与は支給せず、任期は3年と定められています。
    ・年齢制限は法律では75歳未満ですが、現協議会・加藤会長のご尽力で愛知県では75歳未満の選出が困難な場合は、現職の再任に限り1回のみ越えてもよいと、現状に即した運用になりました。

    介護保険制度から「地域共生社会」に国の方針がかわり、本市でも社会福祉協議会や市の長寿課、自治会連合会の皆さんが率先して地域で「支え合いグループ」をつくり活発な活動を行っていますが民生委員さんも参加しています。防災訓練時には独居高齢者や高齢者のみの世帯を訪問して避難所へのお声掛けをします。
     また、夏祭り、校区運動会等々地域のイベントも増えています。
     近年、このように地域共生社会のしくみづくりの中で、仕事量も増加しており民生委員さんに期待することが多くなっていると思います。

     行政側も、そろそろ民生委員さんの仕事を整理していかないと「なり手不足」にますますなっていくと感じました。

    この日の会議日程も、日程調整連絡に応えたにもかかわらず会議日の連絡がなく、たまたま気になって電話したところ「明日午前10時~」と聞かされてあっけにとられました。

    ・議会事務局を通して委嘱された委員です。日程も決まったならば一言議会事務局に伝えていただければミスをフォローできると思い、福祉課長と、事務局長に伝えました。

    長久手市役所、この頃どうなっているのかな?職員を1~2年という短期間で人事異動していることで職員の専門性が失われ、やる気も失っていくのかな~。市長さん、人事異動は市民目線でお願いします。v( ̄∇ ̄)v
      令和元年8月16日①

     海を眺めることのない毎日。外はアスファルトと車・・。今日は待ちに待った1日だけの夏休み。昨夜からドキドキしながら迎えた朝。彼女の運転で、車で、知多半島へお魚を食べて、お魚を買いにドライブ。2年ぶりに眺める海と潮の香り~。台風が近づいているのか・・白波が。でも空は青空でとても気持ちがいい。
     令和元年8月12日⑥
    彼女も私もよそから長久手に越してきた。石垣島、そして私は隣の静岡県。歳も同じ。越してきた頃は「来人(きびと)」と「地人(じびと)」から言われ女性が一人でこのまちで生きていく事の不条理な現実と戦い30数年。

    私たちは頑張って住み続けてきた。明日のお盆はお互いに仕事がある。海を見ながらお魚食べようね~と知多半島に出かけた。
     令和元年8月12日⑤

     令和元年8月12日③

     令和元年8月12日②

     令和元年8月12日④
    ・時間も気にしないで夕方まで食事と買い物を楽しんだ。いつの間にか海の景色が違っていた。
     令和元年8月12日①
    ・向こうに見えるのはまだ愛知県内の島々だが太平洋~。生涯働かなければ生きていけない日本になると国は言っているが、この大海原を見ていたら先のことなど考えず毎日を大切に生きようね~と2人で意気投合。

    ・2人で「まだまだ時代は私たちのもの、若い人にしっかりとバトンタッチできるまで頑張ろうね」って、一人前のような会話をしながら夕方帰りつきました。毎度のことだが私の買い物は半分は〇〇宅へ行きそうなものばかり。
    息抜きができた素晴らしい一日。ハンドルを握らないドライブってとってもいい感じ。ありがとうございました。
    .。o○.。o○.。o○.。o○ .。o○.。o○.。o○.。o○

     昨日は文化の家で「令和元年度平和祈念式典」が開催されました。
    この事業は「税金」で行われます。事業目的を市は以下のように謳っています。

    終戦から70年以上が経ち、時の経過とともに戦争の体験者が減少している。戦争の悲惨さや平和の尊さを後世に引き継いでいくために、幅広い年代の市民が集い、戦没者への哀悼の意を表するとともに、平和への思いを改めて認識して未来へつなぐことを目的とし、市が式典を開催する
     令和元年8月11日②
    【1部 戦没者追悼式】
    ・市長の式辞 黙祷 追悼の言葉(議長・遺族代表・国会議員・県会議員)
    ・献花

    【2部 平和祈念式典】
    (1)語り部による戦争を語り継ぐ集い
     題名:「異国に眠る父と残された母」 松原清美様
    ・松原様のご両親は満州で結婚し、6か月の新婚生活の後、お父様はフィリピンのルソン島で戦死。お母様は20歳、清美様は生後10か月。残された家族8人の戦後の体験と、お母様が亡くなる前にルソン島へ慰霊の旅に出かけた時のことを語ってくれました。特にお父様の玉砕したのが昭和20年1月27日と聞いたときは、胸が痛みました。あと7か月で終戦。

    ・8月6日と9日は広島、長崎に原子爆弾も投下されました。広島の平和祈念式典では、総理大臣も平和の尊さを言いますが、現実の政治と大きくかけ離れています。せめて本市の市長には言葉と行動がいつまでも同じであってほしいと思います。

    (2)中学生広島平和体験学習事業の感想文の朗読
    (3)中学生広島平和体験学習に参加した生徒が壇上でスライドを見ながら体験談を話してくれました。
     BlogPaint
    (4)アニメ映画「つるにのって とも子の冒険」
     令和元年8月11日⑨

    私は全ての行事に参加しました。広島の平和像の下は現在平和を祈る「千羽鶴」を捧げることができるようになっています。娘は26歳で尾張旭市会議員になった時に、後援会の皆さんと千羽鶴を折り、私も一緒に8月6日広島に行きました。当時は秋葉忠利さんが広島市長でお目にかかったことは今でも覚えています。同じ政党で国会議員でしたが、その職を辞してまでなぜ市長選に出馬したのか、選挙の応援にもかけつけましたが、後になって広島の平和式典に参加してわかったような気がいたしました。

    8月6日の「原爆死没者慰霊式・平和記念式」での市長の「平和宣言」は国内だけの問題ではなく、世界中の国や人々へのメッセージだったのです。唯一の被爆国日本なのです。だから秋葉市長は原子爆弾を「悪魔の兵器」としてその廃絶を世界中の為政者にも呼びかけ続けてきたのです。

    翌日の新聞各紙の報道は1面を大きく飾る報道ではありませんでした。戦後「74年」という歳月のせいでしょうか、だから「引き継ぎ、語り継ぐ」ことが必要な時代になってきたのではと思いました。

    文化の家・展示室では原爆パネル展が同時に開催されていました。
     令和元年8月11日③

     令和元年8月11日⑤

     令和元年8月11日④

     令和元年8月11日⑥

     令和元年8月11日⑧

     令和元年8月11日⑦
    現市政になって、ようやく行政も8月6日、9日を集中日にして平和事業を幅広く行うようになりました。その中で、語り部による戦争体験のお話をされた方も、旅立っていくということもあり「語り継ぐ」ことの大切さを今年は強く噛みしめた1日でした。.。o○.。o○.。o○.。o○

    このページのトップヘ